式内 加知彌神社
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概 要
社 号 式内 加知彌神社
式内社 因幡国気多郡 加知彌神社
読み:古 カチミ 現 かちみ
江戸時代は「勝宿大明神」と称していた
所在地 鳥取県鳥取市鹿野町寺内155-1
旧地名 因幡国気多郡
御祭神
中座:彦火火出見命(ヒコホホデミ)
左座:鵜萱葺不合命(ウガヤフキアエズ)
右座:玉依姫命(タマヨリビメ)
例祭日 10月21日
社格等
古代社格制度『延喜式神名帳』(式内社)
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
因幡国(イナバ):50座(大1座・小49座)
気多郡(ケタ):5座(並小)
近代社格制度 旧県社
創建 年代不詳
本殿様式 大杜造 柿葺
境内摂社(祭神)
東照権現・勝宿神社
一口メモ
志加奴神社からは二本木交差点から広域農道を越えて、県道32号線を南下する。国道9号線からは浜村交差点から左折して県道32号線へ。寺内をさがすが行き過ぎて今市の反対側から鎮守の森らしい場所へたどり着いた。あとで県道側から振り返ると、宮方バス停前にある参道の両側が密集していて見逃してしまったらしい。
歴史・由緒等
志加奴神社は鹿野から宿へ、加知彌神社は気高町宿(勝宿)から現在地へ神社を交換したみたいなかたちになっている。
氏子のしおり
加知弥神社は気高郡鹿野町寺内飯田の森にある。祭神はひこほほでみのみことと、うがやふきあえずのみこと、たまよりひめのみことで創立年月はつまびらでないが、延喜式神名帳にのっている式内の古社でむかし勝宿(かししゅく)大明神といい、旧社地は宮谷あるいは明神ガ鼻であったという。中世以降武将の崇敬があつく、永録8年(1565)には武田高信、田公高清、矢田幸佐等が社殿を造営し、天正8年(1580)には吉川元春は戦勝を祈願して社領を寄進した。なお元春の祈願状、寄進状2巻が昭和32年12月県の保護文化財に指定されている。社伝によると天正年中豊臣秀吉は防己尾(つづらお)城落城のとき社領を寄進したとのことである。また元和9年(1623)には池田光政が社殿を修理し、寛永10年(1633)国主池田光仲はあらためて社領39石6斗9升3合を寄進したが、そのご累代の藩主も崇敬あつく社殿の営繕あるごとに金殻木材を寄進し幣帛(へいはく)を奉納した。明治4年には県社になり同40年3月、神饌幣帛共進神社(しんせんへいはくきょうしんじんじゃ)に指定された。大正2年11月には、当社の摂社(せっしゃ)および付近の神社14社を境内に合祀(ごうし)して1社をたて、あらたに勝宿神社ととなえた。例祭日は10月21日である。寺内部落の薬師堂付近には、塔礎とみられる礎石がある。遺瓦は奈良後期のもので、むかし勝宿大明神の別当寺の旧跡だといわれている。
「全国神社祭祀祭礼総合調査」 神社本庁 平成7年
境内・社叢
社頭
社頭掲示板
鳥居・神橋 手水
境内 拝殿
拝殿扁額 本殿
境内 境内社東照宮、稲荷神社
勝宿神社
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